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2013.03.03
バイト終わって時計を見たら、電車に間に合わない、と頑張って駅までダッシュしましたが、
時間を勘違いしていたようで、通過電車でした。
無駄に息を切らせてしまった…orz
久し振りに夜道をかっ飛ばして走った気がしますが、やっぱり体力落ちたな\(^P^)/
どうでもいいですが、学生時代はリレーの選手だったと言うと、
周りは誰も信じてくれません。そんなに瀬名はのろまに見えるのか。


ところで2月にアップするつもりだったのに、すっかり忘れて今日になってしまいました。

長い上にあれなので、下記にたたみます。
あくまで私個人の史観なので、悪しからずお願いしますm(- -)m


JK時代にお世話になったS先生と言う方が、
テスト返却中にふと私に「瀬名さんはどうして日本はWW2で負けたと思う?」
と仰いました。(テスト内容は地理だったので先生の質問とはほぼ無関係である

当然ですが現在よりもずっと思慮が浅く、知識もなかった私は、
「うーん…」と頑張って貧脳を捻りに捻った挙句出した答えは、
「精神論に傾向したからではないでしょうか」
と、今思えば恥ずかしくて穴があったら入りたい答えでした。

私の答えに対してS先生の答えは、「うん。それも一理あるかもしれないね」と、
まず肯定して下さって、「俺はね、統帥権ってものが大きな原因じゃないかなと思うんだよね」
と言うものでした。今でも言文一致ではっきりと覚えています。

統帥権。当時の私の統帥権に関する知識と言えば、
「帝国憲法が定めた天皇大権の一つ」「陸軍、海軍を統帥する権のこと」
と言うざっくりしたものしかありませんでした。
なので、先生の仰ったことが妙に新鮮に感じられ、それ故鮮明に記憶されたのだと思います。

そして、こいつが厄介なものであったと今更になって勉強し直してます。
「我らは天皇陛下の軍隊である」とか言うよく聞く台詞も、統帥権を知ってるとすんなり分かる(気がする

そしてその「天皇陛下」の「軍隊」を勝手に動かしたとされ、
陸軍の刑法25条、つまり、
第二十五条 党ヲ結ヒ兵器ヲ執リ反乱ヲ為シタル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
一、 首魁ハ死刑ニ処ス
二 、謀議ニ参与シ又ハ群衆ノ指揮ヲ為シタル者ハ死刑、
無期若ハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処シ其ノ他諸般ノ職務ニ従事シタル者ハ
三年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
三、 附和随行シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

に引っ掛かって「叛乱罪」の名を着せられ処刑されたのが、22名の青年将校らです。
(厳密には、北先生など「将校」とは言えない方も混じっている上に、自決したお二方も含まれてます

遺族が書かれた本によると、「叛乱罪」と「反乱罪」はちょっと意味が違うらしいのです。
何がどう違うのか失念してしまったが、ようは「叛乱罪」の方が重い罪であると言うことらしい。
ちなみに陸軍刑法にはそう言うことは書かれてなかった気がする(多分、書かれてたらごめんなさい

某番組で言ってましたが、「天皇陛下の軍隊」であるのか「国民の軍隊」であるのか。
難しい話ですので言及は避けますが、思わず「う~ん」と唸りたくなる昭和史の複雑さ。
この解釈ですったもんだしたことがあると、大学の教員になられた恩師が仰っていたので、
この手の話は私などがあーだこーだと述べるのも憚られます。
そして当時の世界情勢、時代背景、思想などをよく勉強していないととてもじゃないですが、
この事件の突っ込んだ話は語れません。私には深入りは無理です(^p^

ちょっと話が飛びますが、遺族の方が、「彼らの手記を読んで欲しい」
と仰っていたのには言葉が詰まりました。
「第三者目線の資料しか読まないでこの事件を語るのではなく、せめて当事者達の声を知ってから語って欲しい」
と言う、青年将校への批判が多い中での切実な声だと思います。
勿論、そうではない方もいると思いますが。
「青年将校への同情なんて一切ないよ。殺された重臣達が気の毒」と、
獄中手記や遺族の著書も読んでいないことを明言しながらこんな発言をする方も私の高校にはいました。
まさにこの発言はストライクです。
蛇足ですがこの発言をした方と、私は何度も討論をしていますが、いつもねじ伏せられて終わっています。
私はまだまだケツの青い餓鬼と言うことですね。

そんなことは置いておいて、
あくまで青年将校にスポットを当て、高橋少尉を例に取ってみますと、
事件の中で、彼は斎藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監の襲撃を実行します。
私はこの高橋少尉を痛烈に罵倒する人間を見たことがあるのですが、
(上記の方と同一人物ですw私のブログに度々出てくるお世話になった某先生
斎藤、渡辺両氏に遺族がいるのと同じく、高橋少尉にも遺族がいるのです。
そして何より、彼の行動はともかくとして、思想までもを否定するのはいかんことだと思うのです。


以下の文はちょっと長いですが、彼の有名な獄中手記です。原文のまま。

「「姉は……」ポツリポツリ家庭の事情について物語って居た彼は、ここではたと口をつぐんだ。
そしてチラッと自分の顔を見上げたが、直に伏せてしまった。
見上げたとき彼の眼には一パイ涙がたまっていた。
固く膝の上に握られた両こぶしの上には、二つ三つの涙が光っている。
もうよい、これ以上聞く必要はない。暗然、拱手歎息、初年兵身上調査に繰返される情景。
世俗と断った台上五年の武窓生活、この純情そのものの青年に、実社会の荒波は、余りに深刻だった。
はぐくまれた国体観と社会の実相との大矛盾、疑惑、煩悶、初年兵教育にたずさわる青年将校の胸には、
こうした煩悶が絶えず繰返されていく。
しかもこの矛盾はいよいよ深刻化していく。こうして彼等の腸は九回し、眼は義憤の涙に光るのだ。
共に国家の現状に泣いた可憐な兵はいま、北満第一線に重任にいそしんでいることだろう。
雨降る夜半、ただ彼等の幸を祈る。
食うや食わずの家族を後に、国防の第一線に命を致すつはもの、その心中は如何ばかりか。
この心情に泣く人幾人かある。この人々に注ぐ涙があったならば、
国家の現状をこのままにしてはおけないはずだ。ことに為政の重職に立つ人は。
国防の第一線、日夜、生死の境にありながら、戦友の金を盗つて故郷の母に送った兵がある。
これを発見した上官はただ彼を抱いて声をあげて泣いたという。
神は人をやすくするを本誓とす。天下の万民はみな神物なり。
赤子万民を苦むる輩は是れ神の敵なり、許すべからず。」

国を憂う青年の、切実な気持ちの吐露ではないでしょうか。
この事件について結果論だけをとやかく言いがちな気がしますが、
何故彼らが決起したのか、彼らは何を思っていたのか、
と言うそこに至る過程を忘れてはいけないのではないでしょうか。

彼らの思いを知ろうとすることこそ、
一審即決にして弁護人なし、文字通り暗黒裁判と言う形で、
つまり訴えたいことも訴えられないまま、
(これには統制派が皇道派を一掃しようと言う思惑が伺えるらしい
刑に処された彼らへのはなむけでもあると私は考えます。

あの事件で亡くなられた方々、そして青年将校らの霊よ安らかなれと切に願います。


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