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2012.06.25
近頃、温度差が激しいせいか体調がいまいち。
もっとしっかりしろよ、私。と鼓舞してます。
バイト先は結構寒いので、ひーひー言ってます´・ω・

暑くなってきたので風通しをよくする為にopen the window!と言う状態に。
…何となく英語の方が解放感ある気がしませんかね←誰に同意を求めているんだ
しかしそうするとお隣さん家のくしゃみがめちゃくちゃ響いてきて、
凄い時には夜中に豪快に連続10回以上。
我が家もこんな風に聞かれているのだろうか、とちょっと考えてしまった。
お隣さん、風邪でもひかれたのだろうかと要らぬ詮索をしてしまいました。

そう言えば、ネット上で良くして頂きお世話になっている方が、
江田島に行かれたらしい。勿論江田島と言えば兵学校、現在は海自の学校。
とても羨ましす。赤レンガが見たいぜ。
私は京都より西には行ったことがないので…(涙
今年はいい加減行きたいんだけど、どうなることやら。

ところで6月23日は過ぎてしまったが、黙祷。
それから下記は6月25日なので載せてみました。
ひたすら長いので、覚悟ある方のみどうぞ。

この追記を見てしまいましたね。
ひたすら長いと忠告します。
めくるめくる林くんわーるどにようこそ←

では昭和19年の本日、6月25日の大井航空隊にての林くんをどうぞ。
色々思うところが多かったです。
長いので読みやすさを考慮して適度に行間を空けました。
なお、単語の意味の脚注は本人が付けたものではなく、本を出版された令兄が付けたもの(の筈
ちなみに、英単語ではなくドイツ語の単語です(゜ω゜;

「あと三日後、また外出となる。この頃、わずかに時間の歩みの速くなったことを感ずる。
読書を禁止された。さりとて、航法その他、休み時間に読もうなどという気持はさらさらない。
生活の面白くなさを、いまさらのように感ずる。
つまらぬ禁止をして、いったいなにになるのか。ばからしさを、わざわざ感銘させるようなものだ。

 人間がある生活に入る。最初それがいかに悪いかを感ずる。そして、どうすべきかにつき悩む。
しかし、ある生活が動かしがたく、永続的に強力さを示すとき、没法子的感情が生まれ、受動的生活に陥ってゆく。
その時、どういうことになるだろうか。具体的にはっきり言おう。
軍隊で没法子的受動性以上に出られぬとしたら、その結果はどうか。
 それは生活全般の受動化、いわば、どうにでもなれ、という心理状態になる。
そして拘束が強いほど、投げやりな気分も強くなる。
そしてそのような態度が一年、二年とつづいたならば、その結果はどうだろう。
 よしその人間がかつてその人を歓待した社会に帰ったとしても果して彼は、
(外部の自由な生活に復帰したとしても)、拘束を受けない前に、
彼の生活全般に満ちていた真面目な積極的生活態度を取り戻すことが、できるであろうか。

 おれがここで想いだすのは、レマルクの『西部戦線異状なし』だ。
この本は、おれが軍隊に入ってから、片時といえども忘れられぬ豊さをたたえている。
レマルクはパウル・ボイメルの世代を「弾丸は逃れたが、戦争そのもので殺された」と言い、
また「彼らは、戦争にきた時はまだ青年であった。しかし現在の彼らは、あまりにもいろいろの経験をへた」
と評している。
 Krieg(戦争)の大なるVerwandlung(変容)のなかに、多くのものが亡びる。
それはやむを得ない。社会的に、否、世界史そのものの性格上、やむを得ぬ犠牲であろう。
 しかし、一個の人間が、無価値なる虫けらのように押し潰されてゆく事実は、はたして必然であった、
だけですむのだろうか。
おれは、かかる事態は必然であったと思う。

 日本の興亡。そのゆえの犠牲、やむをえざる歴史の捨て石、ということは事実だ。
しかもその事実を、現在の生活のなかに、そして自分自身と、おれの知友の身に迫った事態として考えるとき、
いったい我々は、いかにこれを考えたらよいのであろうか。
はたして必然性の認識だけで、我々は満足しうるであろうか。
 もちろん、それだからとて、我々は死の危機がきても、あるいは平気かもしれない。しかしいったい現在、
おれの思考を迫るこの世界史の運命と、個人の運命は、どのようにして一致せられるものなのであろうか。
 そうだ。ここでおれは、いまさらにように感じる。
「現在の生活を肯定せしめないような人生観は、真の人生観たりえぬ」とのA先生のお言葉を。
これを今の問題にひきもどせば、いわば世界史と個人という運命的対決に、ひとつの解決を与えるものは
Entscheidung(決断)のみだ。
そのつながりを見つけようとそるところに無理が生れる。
 無理というものは、人生そのものから根絶できぬ、人生に本質的なものであろう。
無理は、あらゆる合理性以上に、人生に本来的なものなのであろう。
そして強さとは、この無理にKorperlich(肉体的)にもgeistig(精神的)にも、打ち勝つところに生れる。

 おれの性格には、矛盾的な二者が含まれている。それは、どうとでも言えよう。
政治的と、非政治的、吉田松陰的なものとトニオ・クレーゲル手要素と。その二つがたたかう。
そしてトニオが勝てば、おれは、絶望に、いよいよ深く沈みこむ。
しかし「それではたまらぬ」と松陰先生が叫ぶ。そこでおれは、どう生きるのか。
おれはトニオ・クレーゲルに、黙らせるほかはない。
 一つの真実のゆえに、他の真実を殺すほかはない。
それを説明するものは、なんだろう。一つには、「おれは歴史のゆえに、こうせざるを得ない」ということだ。
そして我々は、「歴史より離れて生くるを得ぬものなるゆえに、しかせざるべからず」と考える。
ゆえにある人々のように、おれには恨むなどということはできないのだ。
 いったい、恨むといっても、誰を恨むのだ。世界史を恨みとおすためには、我々は死ぬほかない。
そして我々は、恨み得ぬ以上、忍耐して行き、そして意味をつくりださねばらなないではないか。
日本は危機にある。それは言うまでもない。それを克服しうるかどうかは疑問である。
しかしたとえ明日は亡びるにしても、明日の没落の鐘が鳴るまでは、我々は戦わねばならない。
 それは一小説家榊山潤が『歴史』の中で描いた過労に現わされているような人間の生き方、
やむを得ぬ態度なのだ。
おれは「歴史を恨み得ぬ」と考える以上、いたずらな泣言を捨てよう。

 そしてたとえ現代日本が、実に文化的に貧困であろうとも、また健全なるよき社会でなかろうとも、
欺瞞と不明朗の塊であろうとも、我々日本人は、日本という島国を離れては、歴史的世界を持ちえぬ人間であり、
我々はこの地盤が悪かろうとも、しかもそれ以上に我々の地盤はなく、いわば我々は、
我々の土壌しか耕せぬ人間であると考える以上、おれは泣言を言ってはならない。
ミゼラブルな結果は判っていても、とにかく忍耐して生き、強く積極的に生きねばならない。
人生は苦しいものなのだ。
 我々は十八世紀より十九世紀にかけてまき起こったドイツ・ローマン期のような、明るい情熱は持てない。
我々から言えば、ノヴァーリスの“Heinrich von Ofterdingen”
<『ハインリッヒ・フォン・オフターディンゲン』(青い花)>が心の糧ではない。

 我々はKrise(危機)に生まれたのだ。
我々の世紀は最初からdunkel(脚注がないが、闇、暗黒と言った意味)なものを予定された。
我々はshon ist die Jugend(青春は美わし)!などとは言えない。

 人生は辛い。嘆きの淵だ。すくなくとも現代において。
しかも嘆きの淵だからとて、逃れられぬところに、また人生の苦しさがある。
そしてそうである以上、我々はなんとかして強く生きる道、あるいは、
とにかく生を意味づける道を発見せねばならないのだ。
 死は、けっして遠くない。いまでも我々は、死に迫られている。
そしてその死をふり払って、生に赴き得るかどうか、それがこれからの生き方なのだ。
これがWeg zum Leben(生への途)となるか、Weg zum Tod(死への途)となるか、すべてはこれからなのだ。

 どうせいつも眠いのだ。いっそ、眠いならば睡眠七時間でやってゆくのがましである。
では六月二十五日よさようなら。今日は考えたくなった。
貧困だから、これが現在のレベルである(二一・〇六時記)。」


何で見たのか忘れたのですが、どなたかが「本を読まない人は自分の人生経験だけで物事を判断し、
価値観を持ってしまう」と言うようなことを言っておられた。
辛辣なことを言ってしまうと、何となくそれは某職種に見られると思います。
本人が表紙に写っていて、本屋に行くと必ず並べられている筈。
人生経験もろくにない若輩の私が言うのは失礼なのですが、
私はそう言った方達の「人生論」を読んでもいまいち心に響かないのです。捻くれ者なのか…
以前母が上司にそんな本を贈られていました。我が家にも数冊あります。

ともあれ私も自分の人生経験だけで物事を判断しないようにしなければと思います。
とは言ってもそんなに生きてないので、本に影響されること大ですが。
…結局何が言いたいのかよく分からない文になってしまった。
まだまだ未熟だなあ(´-ω-`
ことに上記にずららーと林くんの文があるので情けなく切なくなります(笑
※19年の6月の時点で、22歳である。私は現時点これの3つ下である。
親友の大地原氏(後の京大教授)曰く、「精神年齢は10年の長幼差と言って過言でなかった」らしい(^p^



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