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2012.02.24 (・ж・)
今更知った話。
有名な指揮者である小沢征爾さん。
瀬名もPC上でだけど、演奏は聴いたことがあります。

で、その小沢さん。名前がずっと引っかかっていた小沢さん。
満州が生誕地であることは知っていたが、まるで「征爾」と言う名前は、
板垣征四郎氏と石原莞爾氏からとったみたいだなーなんて
考えてたら本当だった。マジすか(゜ω゜;)

瀬名はこんなことばっかり考えてます。



以下下らない感じの独白話。
相当突っ込んだ話なので追記に入れとく。

でぃーぷな話と、ににろく。
何が言いたいか分からないからてきとーにつらつら。

何でににろくかと言うと26日が近いし、瀬名はあの方達に沢山のことを教えて頂いたから。
マニアックとか言われることもあるけど、
でも昭和史勉強するにはスルー出来ないと思う。
参考書とか捨てまくったり(使えそうなのはとっといた)してたら、
調べまくったににろくメモが多数発掘された。
こんなとこにあったのか、あぶねーと、ファイルにしまった。

瀬名の学校の後輩にはににろくの遺族と言われる子がおられた…らしい。
気になって先生に婉曲に尋ねても詳細は教えてくれず(当たり前だ)
今も重いものを残していることを実感させられた。
前にも書いた気がするが、瀬名はあることで遺族に間違われたことがある。
瀬名を遺族と間違えたのは都内の某大学の教授なのだが、今思うとなんて無礼な人だっつーの。

何で無礼かと言うとすごーく上から目線で青年将校のひとりを嘲笑したので、
あの時はマジでぶん殴ってやろうかと思った←こら
短気な瀬名は喧嘩腰でその教授とやらと話をしていた。今思えば滑稽だった。
たかが一女子高生(当時)が大学教授なんかと対等に議論出来るわけがない。
あちらはエキスパート、こちらはひよっ子もいいとこである。
でも、極端な物言いで青年将校をバカにされるのは気に喰わない。
感情的で困ったひよっ子であった。

ちなみに疑われるようだが、瀬名の中学生の時のあだ名は「UYOKU」(あえてローマ字ですw
恩師に「俺の海軍の親父もUYOKUだったけど、お前みたいなUYOKUはいいと思うよ」
と、何故か褒められたのを覚えている。
当時瀬名は「UYOKU」と言われるのが嫌で、(UYOKUについて詳しくは知らんかった
何でこう言うのが好きなだけで「UYOKU」って言われなきゃならんのだと憤慨していた。
が、今は「UYOKU」だろうが何だろうか構いません。
むしろその正反対の人達の方が嫌です。←←

で、メモにあったやつ。
ある人達には耳が痛いだろうと思われる↓
「新しい未来は闘争を通じてしか生まれない」
「最初から一定の理想像を期待出来るほど世の中は甘く出来ていない」
とは、栗原中尉のお言葉。
これは何か考えさせられるものがあると思う。
本当、仰る通りで、つかえていたものがとれた感じだった。
そしてふと浮かんだのはフランス革命であった。

他にも栗原中尉は「暗殺は最高の道徳である」と言う言葉を残しておられます。
前後の文脈は忘れてしまったが(肝心なところ…)リアクションに困った…←

それから、瀬名のメモには重箱の隅をつつくような内容ばかりが書かれていた。
野中大尉(四郎さん、野中親分こと野中五郎氏の令兄)は草むしりが好きだったとか、
関東大震災の時に栗原中尉は家を飛び出して何か叫んでいたとか、
結婚は栗原中尉の一目惚れであったとか、(中尉は所謂二枚目である
急にネイビーになるが、
森下さん(レイテの大和艦長)が芸者のおねいちゃん(?)の手相を見てやったとか、
有賀さん(last大和艦長)の昔のあだ名が「ちゃっこ」だったとか、
坂井さんらが猪らしきものを追っかけて食べようとしたけど失敗したとか、
笹井さんが呉空で車を勝手に乗り回していたとか、

実にしょうもねーことばっかり。(当人に失礼だが、それを知ってどうすると突っ込まれそうだ
その為に一体何を調べにきたのか分からなくなっていたり。
どうしようもないです。

ともあれ、ににろくやその他についてもっと勉強せないかんので、
また史料探しの旅に出る。

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